サーフィンと人生と

サーフィンに出会い人生観が変わったという人は結構多いと思います。

実は私もそのうちの一人です。
本日の記事は私、Inoの事を書いてみました。



私がサーフィンと出会ったのはハワイに滞在時でした。

ハワイに行く前は、インディーズで音楽活動をしていたのですが、色んな葛藤があり夢を諦めてしまいました。

若い頃より音楽しかないと思って生きていたので、その夢を叶えるために東京に上京し、専門学校に通いシンガーソングライティングを勉強し、小さなクラブで歌うことから始めてコツコツと地道に活動していました。


2年ほどでやっとレーベルが決まり念願のCDを出せ、それと並行して別レーベルでダンスボーカルユニットとしてもシングルを何曲かリリース出来ました。

ストリートの中では割と早い段階で、音楽でもギャラが入るようになっていたのですが当時のディレクターやマネージャーからバックヤード(作詞、作曲やプロデュース等)としての評価が高かったこととは裏腹に、アーティストとしての評価は中々思う様にいかない事に強く挫折を覚えてました。


それと同時にいろんな出来事が重なり情熱が薄れ始め、ある日私は、仕事で人に曲を作れても自分の曲は一切書けなくなりました。

私にとっての音楽はライフスタイルの一部で、常に頭の中にはメロディーや言葉たちが浮かんだりしていて。常に歌っている子でした。


そんな日々は子供のころから当たり前だったのですが、その日々が急に終わってしまい何の為に音楽をやってきたのか分からなくなってしました。

大げさに思うかもしれませんが、私の中で音楽がなくなると真っ暗な洞窟に落とされたかのような、そんな感覚でした。

自分にとって音楽とは何なのかを知りたくて。
自分と向き合うために、海外留学を決めハワイに行き自分探しをしました。

偶々、学校のアクティビティでサーフィンがあったので以前から興味があった事から選択してやってみたらどハマりして。

その時はインストラクターに良い波を選んでもらって、板を押してもらってただ立つだけだったんですけど。
学校や滞在先がポイントの真ん前だったので自然にやり始めました。

この時はファンボードのスポンジボードを安く購入してメロウな日のワイキキの波をエンジョイしていました。


波を待つ瞬間
海に潜って泳いでる瞬間
その時だけ自然に歌えた時間で
口ずさんでいるのに気づいたときはっとして、つぅっと涙が流れたものです。

”あぁ。私歌えるんだ。良かった。”

と。
この時に音楽はもう趣味でいい、仕事としてやるにはしんどすぎると考えるようになりました。

写真はよく入ってたポイントのパークからの景色です。

この時のポイントは、ワイキキでもThrees(スリーズ)っていうフォート・デルッシー・ビーチ・パーク前から沖までパドルアウトする場所で、大体シェラトンとかロイヤルホテル(ピンクの)ら辺の辺りです。

ワイキキだと初心者はCanues(カヌーズ)やQueens(クイーンズ)で入る方が多いんですけど、結構衝突が多いので、混雑していThrees(スリーズ)がメインで入ってました。
日本人が多いワイキキですが、何故かこのパークとこのポイントだけ居なくて、英語を勉強したい私からすると好条件でした。

偶に、
ローカル達に連れられてダイヤモンドヘッドの方に行くんですが崖を降りて入るんです。
いつものポイントとは全然並みのパワーが違かったので、初心者にはしんどかった事はさておき笑

ローカル達が
「うちの娘もこのくらい余裕だよ〜♪」
「ALOHAPPYさ♪」
と陽気で明るいので巻かれても、リーフで怪我しても、ウニが刺さっても
楽しかったです。笑

そして、偶に会う海亀さんにとても心癒されてました。
波と一緒に泳いでる?というか流れてるんです。
頭にぶつかった事もあるんですけど。笑

どの波が乗れるのかが分かってなくても、
一緒に入ってるローカルが教えてくれたり、
波自体にパワーがあるのでそこまでパドルも必要ない波を教えて貰い乗らせてくれてました。

立てればロングラン出来ますし、プカプカ浮いてるだけでも当時音楽活動と仕事との両立の事で悩んでいた私にはいいリフレッシュになってました。

サーフィンの技術は全く全然無いながらも
ハワイが放つ包み込む優しさに、パワーを感じ癒されていました。

日本に帰国後は鵠沼でたまーにやっていましたが、そこからまた海外に行ったり
仕事ばっかりだったり
東京から通う事が中々大変で。
海から遠のいていて暫くやってませんでした。

この時の私の環境としてはとってもいい環境でした。
まだアーティストとして事務所に所属していたものの自分の作品という点では、低迷していたのと中々自身の曲が書けなくなってしまっていた事から、私の裏方力を評価してくれていた社長がそれ以外にも、関連会社の仕事をやらせてくれていたの事もあり、私はそれまでの経験を思う存分に発揮する事が出来ました。

ありがたい事にそっからご縁を沢山頂き、良いお仕事を沢山経験させてもらいました。

繰り返しますが、
物心つく頃から音楽で生きていく事しか考えられなかったので、その気持ちが分からなくなってしまった時、自分にとってこの先、何に情熱を焦がして生きていけば良いのかの答えを探していました。

そして社会における、自分の価値を求めだしました。

音楽とは違い仕事では目に見えるように結果が出ていたので、妙に捻くれてしまって、自分が音楽でプレイヤーとしての商品価値があると思えなくなってしまいました。


その挫折を、必死に仕事で承認欲求を埋めていました。

無理してたんだと思います。
仕事で成果が上がるたびに、華やかな生活を経験できましたが欲しかったものを手にしても、住みたかった場所に住んで見たかった景色を見ても心はカラカラでした。

心が乾くという言葉が正しくピッタリな時期でした。

その後私は、ハワイ→ロス→ハワイ→シンガポール→(東南アジアぷらぷらの旅)→NYと転々として音楽と英語とビジネスについての勉強をと思っていました。

ハワイへもう一度住みたい気持ちとは裏腹に、勉強したい意欲が強く、4大学への留学の意思があったので、必死に昼夜問わずにお金を貯めていました。


それもあって、ハードワークから体を壊してしまい色んなタイミングが悪く断念。それがキッカケで体の事も考える様になり、元々好きだった食の世界に入り込みました。

当時は主体となる仕事を何個か持ちながらも、
ミニマムに友達と一緒にキッチンカーやケータリングをやっていて偶々、プロジェクトが通りカフェをオープンして初めての飲食店経営をしました。

初めての経営はとても大変で思ったようにいかない日々でした。
それまでの私にとっての仕事は、努力さえすれば結果がついてくるものという認識だったので、思ったようにいかないカフェ経営に苦しんでいました。

そんな時にやっぱり思い浮かぶのは海で
自身の転機となったハワイでの日々を思い出すんですよね。

サーフィンから遠ざかってからは
偶に友達と海行った時に板をレンタルしてやるくらいだったんですけど
サーフィンちゃんとやりたい!って思い始めていたんです。

どうにかしてサーフィンをもう一回やろうと思い
きっかけはひょんな事だったんですが、とあるご縁でサーフィンを再開しました。


そっからトントントンと色々お話が繋がって、そのお陰で沢山のインスピレーションを貰い学びがあり、今後の生き方についても考えるキッカケになりました。

間違いなく。
私にとっては転機だったと思います。

兎に角、カフェにべったりだったので週1〜2行けるように最初は頑張ってて夕方はお店や家で仕事をするっていう日々でした。
でも、お店が1周年迎えてリニューアルオープンしてからは特に中々いけずにいてタイミングも合わない日々が続きました。

後に私の周りでは徴兵制に行ってたと語り継がれる程張り付いていたのですが(大袈裟。笑)

サーフィンを再開してから胸に抱いていた、海の近くでもう少しゆっくりしたいという思いもこの期間に具体化したと思います。

今は、コロナの騒動が起こる前から働き方を180度変えたので脱ビギナーズをする為に、とてもパワーのある海がある地元に滞在して練習しています。

ポイントはいわきの豊間っていうポイントです。
たまに二見ヶ浦も入ります。

この写真はかなり穏やかなんですが。
兎に角、インサイドでセットがバツバツに入ってくるのでゲッティング出来ない日もありました。
波はダンパーな日も多くて、基本的に波高1mは普通にあるのと波がパワーがあるのでびっくりするくらい出来なかったです。

サーフィンが解禁されてからは悔しくて、週5は入ってました。笑
やっとの思いで沖に出れても、テイクオフの時に兎に角突っ込むし巻かれるし。
フィギアスケートばりに水中で波に巻かれながらトルネードスピンしている時が殆どです笑

本当に日々勉強です。

サーフィンはひとり立ち出来るまでがとても根気が必要なスポーツです。
各ポイントの海によっては全然パワーも変わりますし平均的な波高も変わります。

そして勿論、情報も場所により少なかったりするところだってあります。

タイドグラフの見方から、いつもいくポイントの波の状況。
風の向き、風速。
それによって波の角度や高さも変わりますし、
日によっても違います。

同じ市でも地形によって、初心者向きの海やエキスパートのみの難しい海だってある。
その海に自分が入れるのかの判断は”経験”が必要です。

相手は自然。
時に自然は人の命を簡単に奪い去ることもあります。
全て自己責任。
選択をするのは自分なのです。

本日は私のレベルにしては波が高く
心が怯えてしまいました。
(※無理に力量以上の波には挑みません)

波打ち際にいると
防波堤とかから見るよりも大きく感じます。

人生においてもきっと何度も壁を目の当たりにしその度に恐怖で怯んでしまったり足がすくんでしまったりそんな瞬間は必ずあります。

とはいえ
インサイドのセットさえ越えればそこには見た事ない景色がある事だって知っているし、それを乗り越えた時に見える景色は、全然違います。

気持ちいテイクオフが出来た時
初めて横にいけた瞬間
長くロングランで来た時
そんな時に味わうあの感覚はなんとも言えません。

“Waves are not measured in feet and inches, they are measured in increments of fear. “ Buzzy Trent
波は、フィートやインチで測るものじゃない。波の高さは恐怖の多さで測られるものなんだ。 バジー・トレント

この言葉はあくまでもスキルにあった波に入っているときにという
解釈を私はしています。

テイクオフする際、たまに恐怖感を覚えてしまう瞬間があって。
その時に焦ってしまうと巻かれてしまったり
突っ込んでしまったりします。
その恐怖感という認識で私はこの言葉を感じるのですが

人生だってそう。
年を重ねるごとにそういうシーンに出会っていきます。

あ!チャンスが来た!
っていう時に、大丈夫かな?
出来るかな?って過度に心配しすぎると失敗してしまったりします。

結構不安って投影されたりしませんか?

そんな時こそ、自分を信じて落ち着いて挑む。
恐怖に打ち勝つ勇気が必要です。

私にとって、サーフィンは本当の自分の生き方を教えてくれたスポーツだと思っていて、正に自分との対話のスポーツだと思います。

サーフィンは学び。

そうやって何度も何度も乗り越え力をつけていくんだなと思います。

海はいつでもそこで待ってくれている
逃げるなんて事は無いでしょう。

自分を信じて最高の波に乗れた時に味わう
あの最高の瞬間は何にも変えられないものなのだから

でも、何度も言うように
力量以上の波には挑まない事はすごく大事です。
そしてそんな日にはその時の別の学びがあります。

サーフィンは楽しんでするもので、無理するものではありません。
楽しんでする為にも自身のレベルをちゃんと知っておくべきです。

色んなポイントに行く事も楽しいですが、人にはお気に入りのポイントやホームポイントってあると思うんです。


そんな私にも好きな場所があるし、私をサーフィンという場所に戻してくれた
大好きなホームポイントがあります。


今はコロナで動けてませんが
色々落ち着いて、準備が整ったら
太陽が海に沈むあの美しい海の
最高のファンウェーブに乗りたいなと思います。

Ino





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