プロロングボーダー Julian Hopkinsへインタビュー【その1】

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”サーフィンをこよなく愛する人のライフスタイル・カルチャーメディア”
そこで記念すべき初インタビューではこのテーマにぴったりのプロサーファーの方をゲストにお呼びしました!

普段は丸の内の外資系投資会社に勤務しており、尚且つ就労しながらプロサーファーになったJulian Hopkinsさんにインタビューしてみました。
現役でキャリアを積みながらも、サーフィンにとことん向き合い続けプロになった秘密に迫ってみました。

このインタビュー記事は、2記事に分けて特集していきたいと思います。

Ino
Ino

Julianさん本日はありがとうございます!
早速、質問にいきたいと思います。
サーフィンを始めたキッカケと年齢は?

A.
宜しくお願いします!
サーフィンというか、波と触れ合うことを始めた年齢は大体ですが4~5歳ぐらいだと思います。

父親がウインドサーフィンをやっていたので、幼少の時から毎年夏にマウイ島へ比較的長期間行っていました。マウイでは昼頃から貿易風が吹き始めるので、朝はウインドサーフィンにとってコンディションが良くなく、午前中は毎日家族でビーチへ出かけていました。

ハワイでサーフィンと言うと冬のノースショアを連想される方も多いですが、夏の南半球から届くサウスのウネリでも十分にパワーがあり、ボディーボードをスキムボードがわりにしてショアブレイクで毎日遊んでいました。
これが自分にとって波との出会いだったと思います。

それから、日本では実家が鎌倉の海から車で10~15分のところだったので、父親がウインドサーフィンに行くときにたまに一緒に連れて行ってもらい、材木座でウインドの板で沖から波にのったのが、自分にとって初めてのサーフィンらしきものを体験した時だったと思います。

Ino
Ino

始めて買ったボードはどんなボードでしたか?

A.
たしか8歳か9歳ぐらいの時に台風の後、葉山の一色海岸でゴミと一緒に捨ててあった古いボードを拾ったのが、自分の最初のサーフボードでした。
それを持ち帰って、ソーラーレジンなんかで、傷を直してもらい使っていました。
長さが6フィートぐらい、南アフリカのレジェンドサーファーのショーン・トムソン・モデルでした。当時(25年ぐらい前)からしても相当レトロな板だったと思います。
フィンはもちろんオン・フィンでした。

購入という意味では、小学6年生ぐらいの時に鎌倉のウインドサーフィン・ショップで3万円ぐらいで買ってもらった中古ロングボードが最初だったと思います。その後、中学生ぐらいのときにはマウイでシングルフィンのロングボードを手に入れました。
恐らく、最初に手に入れたコンディションの良い板がこのボードだったと思います。

Ino
Ino

サーフィンにハマったきっかけは?

A.
マウイ島で泊まっていた場所の近くにサーフポイントがあって、小学校低学年ぐらいの時に、親が毎朝ビーチに行く時に途中で落としてもらって、地元の同世代の子供達とサーフィンをしていたのが、自分にとってのサーフィンのスタートだったと言えるかと思います。

そこのビーチの近くにはプレートランチ屋があって、店主はホームポイントでサーフコンテストを主催してた方で、最初はその人に夏の間板を貸して頂いてサーフィンをするようになりました。
最初は見よう見まねでサーフィンを始め、毎朝通うようになり、ここのポイントで沖までパドルアウトして、サーフボードでうねりから波に乗ることを覚えました。

そこから次第に上達していって、もっとコンスタントに良い波が割れる島の西側のラハイナというエリアにも連れて行って貰うようになり、更に良い波でサーフィンをする様になってから、本格的にサーフィンにのめり込んでいきました。

Ino
Ino

日本では、どの様にサーフィンしていたんですか?
プロになろうと思ったきっかけは?

A.
鎌倉の実家から海が近くなかったので、サーフィンは夏のハワイが中心でしたが、ある程度上達し、カットバックを入れて1本の波を乗りつなげるようになってから本格的にサーフィンにはまったと思います。その頃、ちょうど高校に進学し原付バイクの免許をとり、リーフで良い波の割れる七里ケ浜にも通うようになりました。 最初は中学から続けていたサッカー部に入り、週6日サッカーの日々でしたが、やはりサーフィンをもっとしたいという思いが強く、高校1年のうちには退部届けを出しましたね。

自分の通っていた高校では、部活として存在しない課外活動に取り組んでいる人は、大会などに出て練習を積んでいれば、部活の代替として認められる制度があったので、それがきっかけで地元のサーフショップからNSA に登録し、徐々に支部予選等の大会に出るようになりました。

何年かして、支部予選でも安定してファイナルに残れるようになり、やるなら最高峰の舞台でやりたいとの思いから、大学生ぐらいの時に何度かプロトライアル*にも出ましが惨敗でした。。。苦笑

*良く聞かれるので補足します。日本にはJPSA(日本プロサーフィン連盟)という団体があり、国内のプロツ
アーを主催しています。年間5−6戦あり、そのうちの2−3試合はアマチュアがエントリー可能なプロトライアル(プロ本戦の限られた出場枠を争うアマチュアの予選)が同時開催されます。このトライアルを勝ち上がり、本戦に出場し、本戦で規定の回数(私の時はセカンドシード、つまり前年のランキング17〜32位の選手)を勝ちあがりますとプロ資格が与えられます。

その後、就職しコンペから離れたんですが、大学院進学をきっかけにまたサーフィンと向き合う時間ができて、再びサーフィンにのめり込みましたが、将来のキャリアを意識してた部分もあり、大会は全日本選手権のみで、プロになろうとは思っていませんでした。

四国の全日本選手権で4番になったのが、当時のベストリザルトでした。
余談ですが、鎌倉から同じ支部の仲間たちと一緒に四国まで車で行って、みんなの応援をしたり、本当に良い思い出になりました。

全日本選手権の数ヶ月後には大学院を卒業し、10月には再び金融業界に就職し、東京に引越して、がらっと生活が変わりました。

そんな生活を3年ぐらい続けて、仕事もある程度落ち着いてきて、週2日は思い切りサーフィンが出来るようになって、アマチュアの大会も再び出るようになりました。その頃ちょうど29歳ぐらいでしたが、プロになる夢が捨てきれていないことになんとなく気付き、周りの人の後押しもあって、プロトライアルに再挑戦することを決意しました。

そこから、2年ぐらい集中して挑戦し、やっとの思いでプロ公認を得られました。
サーフィンの日数こそ少なかったもの、色んなポイントで練習して色んな波を攻略したのが自分にとっては大きかったと思います。

素敵なエピソードをお持ちのJulianさん。
マウイ島で過ごした日々がよりサーフィンを日常にしていったのですね。
高校生時代のサーフィンへの挑み方、金融業界に就職して就労しながらもプロサーファーという夢に立ち向かい、再度挑戦し努力をしてきたんだなと感じます。

次回は 具体的にどんなサーフポイントでトレーニングしていたのかスキルアップやトレーニング、気をつけている事な どについて伺ってみたいと思います。

続編は来週水曜日に!

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