プロサーファー大橋海人世界的STAB HIGHを振り返り!【QUIIVER独占インタビュー】
Interviewer & Writer KAHO
Interviewe to 大橋海人プロ(インタビュー中は大橋で表記します。)
※このインタビューは7月に行ったものです。
目次
とにかく高く、迫力のあるエアーを決めろ。
世界各国から18人のサーファーが招待され、エアーの技術を競う世界的大会「STAB HIGH」(豪州のWebマガジン「STAB MAGAZINE」主催)が5月1~15日にコスタリカで開かれ、日本人初出場を果たしたプロサーファーの大橋海人選手(28)にインタビューした。
大橋選手が肌で実感した、世界トップのレベルの高さとは――。
Q.はじめまして、本日はよろしくお願いします!さっそくですが、まずは出場が決定したときのお話から聞かせてください。
大橋:宜しくお願いします!そうですね、まず、今年3月にインスタグラムでスタブマガジンの方から出てほしいというメッセージが来ました。その時電車の中だったんですけど、足の裏から燃えるようなうれしさがこみ上げてきましたね。
「一流と認められる場所」へ出場決定
Q.インスタで連絡が来るんですか!?すごいですね。サーファーにとって、「スタブハイ出場」とはどういった意味をもつものなんでしょうか。
大橋:僕のように、映像を撮ってライフスタイルを届けるフリーサーフィンの活動をメインにしているサーファーにとって、スタブハイは出場できれば「一流」と認められる場所。ふつう、大会って自分でエントリーさえすれば誰でもでれるというものが多いと思いますが、スタブハイは招待制。みんなそこを目指していて、スタブハイで名前を売って、映像でも世界で注目されたいという人たちが多いと思います。
Q.今回大橋さんが選ばれた理由は?
大橋:まったくわからない(笑)。
でも、大会もありながら映像もかなり出していたので、その活動が認められてピックアップしてくれたのかなと思っています。そもそも、スタブマガシンというウェブ媒体に出るのも難しい中、そこに掲載していただいていたので、そういうところで存在を知ってくれて「彼を呼んでみよう」となったのではないかなと。
Q.なるほど、本当にすごい快挙ですね。大会までの準備はどのようにされましたか。
大橋:それ以前の話からになりますが、去年の9月に左足の股関節を手術しまして。着地の時、クッションがそこにかかるので、負担になっていたんですね。サーフィンの体制って後ろ足が中に入っているというか、股関節の受け皿と太ももの付け根の軟骨が擦り合っていた。ずっと痛くて、無視できなくなってきて。お医者さんからも「今やらないと一生サーフィンできなくなるよ」と。それで、コロナであまり外にもいけないので手術しました。海に戻ったのは2月下旬だったので、そこからはリハビリをかねての練習という感じでした。
Q.スタブハイに影響は無かったんでしょうか。
大橋:コスタリカの時は不思議と痛くなかったんですよ。帰国後、隔離の2週間の方が痛くて。今も毎日トレーニングしながら、リハビリ程度にサーフィンするくらいです。
怪我から海に復帰した2月下旬~4月も、あまりいい波がなかったので十数回くらいしかサーフィンできなくて。そんなときにスタブハイから話が来たのでびっくりしましたね。
Q.じゃあ、不安もありつつの出場だったんですね。
大橋:すごく嬉しい反面、「自分にできんのか」という気持ちはありました。100%足も治ってるわけではなかったので。スタブハイのハイは「高い」を意味する「HIGH」。いかに高く飛べるかを競い、それを映像に残せるかという戦いですよね。高く飛ぶということは、着地のダメージもすごく大きいので、今の自分にできるのかという不安はありましたね。
Q.大会についてお伺いします。まず、期間中はどのような動きだったんでしょうか
大橋:約2週間、コスタリカ国内ならどこに動いてもよいよというルールでした。車も5台くらいバンが用意され、カメラマンも10人くらいいて、映像を撮ってきてくれたら審査の対象になるという仕組みです。
2週間毎朝5時前に起きて海に入って、波が悪くなると上がってお昼ご飯食べて、良くなったら戻って――を繰り返してました。いい日だと、昼休憩のみで夕方6時半くらいまでずっとサーフィンっていう日もありましたね。宿泊していた場所がビーチの目の前だったのですが、そこの波のクオリティが高かったので、僕はほとんど移動せずでした。
強靱な波、そして自分自身と向き合ったスタブハイ
Q.コスタリカははじめてですか?海の印象はいかがでしょうか。
大橋:コスタリカ自体は2回目の渡航でした。今回大会をやったところは、海底が砂のビーチブレイクで、少し日本に似ているというか……。僕は日本では湘南の茅ケ崎を拠点にしているんですが、そこで年に何十回かある一番いいときの波が、コスタリカには常にありました。パワーのある強靱な波が、毎日あるって感じです。
Q.拠点となっていた町や環境はどんなところでしたか。
大橋:プラヤ・エルモサ(グアナカステ州)というビーチで、大きな4階建てくらいの家10棟に分かれてみんなが寝泊まりしていました。そこから動かなくても生活できちゃう。メイドさんがいて、食事もすべて用意されていたので。
Q.それはいいですね。ご自身でパフォーマンスを振り返ってはいかがでしたか。
大橋:いや~……0点に近かったかなと。高いジャンプにチャレンジしていたけれど、着地の怖さがなかなか抜けなくて。波もかなり強靱だったので、結局招待されてた18人選手の中で10人くらい怪我しちゃった。怪我が多い大会になってしまったんですね。それを目の当たりにしていたんで怖さもあったし、ここでまた怪我はしたくないなという気持ちもありました。ただ実は、1本かなり高いエアーを決めたんです。けれど、映像に残ってなくて。
Q.えっ、どういうことですか!?
大橋:カメラマンがひとりその海にいてくれていたんですけど、その時4人いて。丁度同じタイミングで別の選手がカメラマンに寄っていくような動きで跳んでいたので、仕方ない。でも、それがあればいいところまでいけたのかなあと……。撮れていないのでなんとでも僕は言えるんですけどね(笑)。でも結局撮れていないのも、僕の実力不足なんですよ。運というより実力。そのエアーは大会の最後の方で、それまでにカメラマンに「こいつ決められそう」という印象を与えられなかった自分のせいです。
Q.それは残念、すごく見たかったです。その高いエアーについては、コスタリカで感覚をつかんだ結果の一本だったんでしょうか。
大橋:ずっとギリギリ決められないという、焦りも出てきていた中での一本ではありました。
今大会ってグーフィーとレギュラーで1本ずつ最低2本きめないといけなくて、片方50点計100点だったんです。僕は、両方とも10点とかを狙う安パイなエアーはせず、120%で臨んで、決まれば上位にいけるという「0か100かの勝負」を賭けて転んでいたので。自分が行ったことないくらい高いところまで、限界を超えたいと思っていました。そこまで行かないと勝てないとも。
Q.ご自身との勝負だったんですね。
大橋:そう、ただ後半やっぱり焦りが出てきて。そんな中で、奥さんと連絡取っていて、根拠なく「明日は絶対決めれるよ」と言われたんですよね。それで僕も結構「決めれる」ってマインドになった。次の日「俺ならできる」という自身を持たせてもらって決めることができた1本でした。
自分的には1本決めれたというほっとした感覚あったし海にいた友達にも「今のめちゃくちゃ高かったぞ!」と言ってくれたけど、なんとなく映像に残ってないのも分かってた。残念だけど、でも、見てくれてた人たちがいたからよかったかなと。
Q.世界のトップのプレーへの印象はいかがでしたか。
大橋:誰が1番かはまだ発表されてないのでわからないですが、僕の中でこいつが1番っていう選手がいて。その人とははじめの3日間くらい一緒にサーフィンしていたんですけれど、彼のエアーには、今大会では「絶対に勝てないな」と思いました。普段、ほぼそういうことは思わないし、勝てる自信があるから(大会に)出るんですけど。でも、この人にはかなわないなと思っちゃったんですよね~……いやー、レベルが違いすぎるというか、エグすぎる。
Q.エグすぎる?
大橋:高さもあるし、着地の時のイメージもかなりついている。波も3~4mくらいの波で跳んでいるんですが、それってつまり3~4mそのまま落ちているようなものなので。イメージできてないけどアドレナリンでどうにかしようとしている選手はそれでみんな怪我していた。大きな大会だし、みんな名前を残したいという思いで、無理矢理イチかバチかでメイクしにいって怪我してしまうと……。
でも、トップの人たちは全部イメージできた上で飛んで形にしていた。見てても怖くないんですよね。他の子たちは「危ない!!!」という場面が結構多かったんですけど。
Q.大橋さんがこの大会で学んだことや、自分の身になったと思うことは何でしょうか。
大橋:とにかくもっともっと練習しなきゃダメだということ。日本だと1、2週間サーフィンできない日もある中、彼らは毎日サーフィンしているわけです。自分ももっと、レベルアップに対しての意識を変えていかないといけないなと。毎日しているのと1カ月しないのとではもちろん感覚も鈍るし、成功率も変わってくる。トップの彼らは毎日何十年もサーフィンをやっていて、完璧に自分のサーブボードと一体化して、コントロールしている。単純に練習量が足りないなと思いました。
Q.日本人として初出場したことは日本のサーファーの間でも話題になっていると思います。大橋さんに憧れを持って活動していく方はますます増えていくと思いますが、仲間内の反応はいかがですか。
大橋:スタブハイに選ばれた時、周りの選手も「本当にすごいね」って喜んでくれて。村上舜選手とか、五輪に選ばれた大原洋人選手とかも「まじで!?それやばいね」「ハンパじゃないね」って。ただ、選ばれて嬉しかったんですけど、選ばれるだけじゃダメというか、結局参加して結果を残せなかったら意味が無い。今は正直、ちょっと恥ずかしいな、映像出てほしくないな……という思いの方が強いです。
Q.謙虚で、志が高いですね。初出場ということで、先駆者としての役割はどう受け止めているのでしょうか。
大橋:スタブハイ出場したのに全然ダメだった自分のふがいなさとかを考えてしまう一方で、結局、自分は次も呼ばれるようにまた頑張っていくだけだし、選ばれたときにはリベンジできるような体制を整えていきたいなあと思います。
経験を宝に――。先駆者としての思い
Q.怪我をする前の自分だったらと考えることもあるんでしょうか。
大橋:いや、それはないですね。逆に手術して調子は良くなっていたので、前でも後でも全然変わらなかったと思います。だからこそ、今回得た経験も含めて、今後自分がどう変わっていけるか。日本ではまだ誰も見ていない世界だったので、この経験は自分の宝として、毎日練習して、また呼ばれるように努力していくしかないのかな。ただ、自分はエアーだけうまい選手じゃなくて、サーフィン全体がうまい選手になりたいと思っているので、トータルで「サーフィンがうまいね」という人を目指していくつもりです。
Q.最後に、日本では緊急事態宣言下での渡航になったと思いますが、コロナで大変だったことはありましたか。
大橋:大会中も2週間で3回ぐらいPCR検査しました。勿論、移動中はマスクもしてないといけないですしね。大会期間中にカメラマンが1人、陽性が出てしまい、隔離されちゃって。初日に僕と同行していたので、僕も陰性ながら念のために、なるべく他の人とは接点を減らす対応を取りました。
コロナ禍での開催、今後の展望について
Q.行く前もPCRも検査をして出国されたんですね。
大橋:検査して行きました。コスタリカは隔離期間を設置してなかったので、向こうでは普通に活動していましたが、帰国後は2週間隔離生活を送りました。だからコスタリカ開催だったのかな……今年は。
Q.なるほど!他に変わったことはありますか?
大橋:そもそも、コロナ前は海外を転々とする生活だったので、僕にとっては日本に長くいることの方が変わったことなんですよ。だからまた海外に行けたのは嬉しかった。コロナ後は初の海外渡航だったんです。コロナ前は毎月会っていたような海外の選手たちとも1年近く会っていなかったので、その人たちとまたサーフィンできて嬉しかったですね。
Q.スタブハイを経た今、次の目標を教えてください。
大橋:目先の目標は明確には決まってないですが、サーフィンのスキルをあげるという心持ちでは、確実にスイッチが入ったかなと思います。以前は、トレーニングを全然していないような、のんびりした時期もあったんですけど、今回コスタリカに行って、自分のサーフィンのレベルを上げなければとあらためて思ったし、あげれると思いました。行ったからこそ見えるものもたくさんあったので、自分のイメージが良くなったかなと思います。
スタブハイに関していえば、エアーの技術に関しては世界のトップが集まっていたので、 跳ぶ位置や着地のスキルなど、学んだことはどんどん磨いてアップデートしていけたらなと思っています。
Q.これからの活躍も期待しています。ありがとうございました!
大橋:ありがとうございました!